公衆電話でインターネット

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公衆電話でインターネット




公衆電話のはじまり

グラハムベルが1876年に発明し、日本では1890年に東京横浜間で実用に至った電話。1900年になると街頭に磁石式電話が登場し、これが現在の公衆電話の始まりとされています。当時は「自働電話」と呼んでいました。5銭はゴング、10銭は鐘の音がなることで交換手に料金投入が伝わります。この料金収受機能は公衆電話にとっては重要な機能の一つです。まだダイヤルなどはなく、手回しハンドルで生じた電力で交換手を呼び出していたといいます。

1903年には、共電式と呼ばれるスリム化した機体が登場。電力供給が電話線を通じて交換局側から供給できるようになりました。これにより発電ハンドルがなくなっています。このタイプの歴史は長く、50年に渡り長らく活躍しました。

1953年、共電式に代わり登場したのがダイヤル式の4号公衆電話です。これまでは交換手に直通し、交換手が番号を聞いて回線を都度物理的に抜き差ししていましたが、ダイヤル式では自動交換方式が採用されたので発信者自身が番号の入力を行うようになりました。長方形の機体はいよいよ公衆電話然としたものになっており。その色から「青電話」とも呼ばれました。戦後復興に伴う急激な回線数の需要増加に交換機の増備が追いつかず、家庭用一般加入電話は年単位で加入待ちが生じる状況となりました。 そのため暫定策として登場したのが施設委託電話(ピンク電話とは別の制度)でした。逓信省の依頼で店頭に電話を置いてもらうもので、一般の4号ダイヤル機と料金箱のセットで投入されました。一般加入回線の黒電話(4号卓上)と区別するため赤く塗られ、以後「赤電話」とよばれることになります。

電話のコードの代名詞、カールコードは1955年日本カールコードが発明し、当時の赤電話である5号卓上公衆電話機に初めて採用されました。一方現在主流のプッシュホンは600形を改良して1969年に発売された600-P形電話がルーツで、公衆電話としては100円対応の673-Aを改良した673-Pとして初登場しています。 ダイヤルがボタンに変わるというのは想像以上に大きな話だったりします。というのも、ダイヤル式は円盤が戻る際の「ジー」という動作時間の長さによって数字ごとのパルスを送信、それを交換機で判断していました。一方ボタンはどの数字も同じワンプッシュです。そこで高群周波数3つ(場合により4つ)と低群周波数4つをダイヤル列ごとに振り分け、各ボタン(0〜9と*・#)ごとに固有の高群・低群周波数の組み合わせを「ピポパ」という音のPB信号として交換機に送るという方式となっています。 簡単に言えば電話番号を振動(長さ)で送るか音(高さ)で送るかという違いということです。故にダイヤル回線とプッシュ回線とでは契約・施工の違いが生じました。同形でダイヤルとプッシュが存在する600形と673形はなかなか興味深い存在ですね。


置かれる場所によって少し違う公衆電話

電話ボックスとして街頭などで設置する公衆電話は、第一種公衆電話といいます。対して公共・商業施設に置かれる公衆電話は第二種公衆電話といいます。このうち第一種公衆電話については、1985年の電電公社民営化と同時に郵政省の元施行された「電気通信事業法」において、電気通信役務として位置づけられています。 いわゆるユニバーサルサービスというものですが、市街地の場合500m四方に、それ以外は1km四方に1台公衆電話を置くのが望ましいと明記されており、これがいくら赤字でも公衆電話が無くならなかった理由の一つです。公衆電話は減り続けていると言われているのは圧倒的に第二種の方で、第一種の設置数はずっと横ばいでした。 ちなみに一応ユニバーサルサービス交付金というものが出ています。財源はわたしたちの携帯電話料金などに加算されている、1回線あたり数円のユニバーサルサービス料なので、気づかぬうちに公衆電話の維持に貢献しているのです。交付金の発動条件は高コスト地域と定められていますが、悲しいかな公衆電話は日本全局が大赤字のためあまねく交付対象となっています。 流石に事業者(NTT東西)の負担が大きい上携帯電話の普及が進みまくってしまったので、2022年に条文が改正され、市街地1km四方それ以外2km四方に1台あればOKということになりました。その代わり災害時は特設公衆電話を随時引くことになり、今後は第一種公衆電話も一定数までは減っていきます。
さてもう一つ、第二種公衆電話についても。こちらは法的なものではなく、NTTが高頻度利用が見込まれる場所に設置するものです。病院の中とか商業施設、駅なんかは第二種にあたります。第一種と違う点に、集金や管理は施設に委託していることが挙げられます。こういった背景が有り、公衆電話機も機種別に街頭用と卓上用の2種類開発されることが多いです。 違う言ってもどのように違うのか。傾向として街頭用は電話ボックスに設置されるため壁掛けでき、釣り銭を多く収容できるよう金庫も大きめに設計されます。対して卓上型は私設でこまめに釣り銭が回収される上、文字通り台に置けるようなるべく小さめな機体が多くなっています。硬貨を回収できる頻度の違いが金庫のサイズに反映されているということでしょうかね。


公衆電話の色と機種名のアルファベット

公衆電話に色がついたのは1953年に始まった施設委託電話の赤電話、そして電話ボックス用の青電話でした。 58年には特殊簡易公衆電話という制度が新たに登場します。扱いとしては一般加入回線の流用で家電に料金収受機能がついているようなものですが、これが皆さんご存知のピンク電話です。喫茶店など希望する店舗に設置されました。分類的には家電に近いため公衆電話ではないとされ、中古が出回ることも多い群です。
続いての新色は黄色です。1972年に初登場した新機能、100円硬貨対応機の証として選ばれた色でした。実は青電話は10円玉にしか対応しておらず、遠距離通話の際はどっさり10円を用意せねばなりませんでした。 赤電話でも100円対応が進み、対応機は金帯を巻いていました。673形は先述の通り1975年以降はP型として、プッシュホンタイプもラインナップされました。
そして1981年、皆さんお馴染み緑色の登場です。店頭の赤、10円の青、100円の黄色ときて、緑はテレホンカード対応機の証としてMC-1Pから初採用されました。このテレホンカードは小銭いらずな点もさることながら、早晩からコレクターアイテムとして注目を浴び、公衆電話関連の事業としては珍しく成功しました。 ただ初代MC-1Pは機体が大きく、カード専用機として登場した一回り小柄なMC-2Pは当然硬貨が使えないのでMC-1Pも別途置かなければならない点が課題となりました。それを解決した第2世代が現在でも活躍するMC-3P(委託機)とMC-4P(街頭機)というわけです。そしてグレーのディジタル公衆電話などを挟みつつも最新型のMC-D8がまとう色になりました。
 
さて、公衆電話の左奥隅には各機体の銘板が設置されています。機種名、製造年、製造番号などが書かれており、機種判別役にたつものです。この機種名や後ろに続く変なアルファベット、これはどういう意味なんでしょう?概ね分かっているものだけですが、以下にまとめました。


MC = Magnetic Card =テレホンカード式公衆電話
DPT=Digital Public Telephone?=ディジタル公衆電話(INSモデル試作機)
DMC=Digital Magnetic Card=ディジタルテレホンカード式公衆電話
ICT=Integrated Circuit Telephone?=ICテレホンカード式公衆電話

A =バリエーションの1つ目
B =バリエーションの2つ目
C =カールコード採用機?
D =?
H =?
-I=国際電話対応機
JR=新幹線設置機
K =?
M =?
N =騒音防止送受器採用機
O =?
P =プッシュホン採用機
RA=公衆シルバーホン「めいりょう」難聴者用送受器採用機
S =?
UL=?
1 =10PPS(パルスパーセコンド)
2 =20PPS


このようにどのようなバリエーションか、オプションを採用しているかが一目瞭然!…というはずなんですが、コードや送受器、オプションの類は配備後にもいくらでもいじれてしまうので、この通りでない場面も少なくありません。また改造時にちゃんと書き足されている機体もあるので、見比べてみると楽しめるかもしれません。
あとHとかKとかはよくわからないしABCあたりは自信が無いです!情報求む!


公衆電話でインターネットができる?
テレホンカード式公衆電話の開発が横須賀で進む一方、武蔵野ではINS構想における新しい公衆電話の開発が行われていました。その名も「ディジタル公衆電話」。INSを活用した高機能公衆電話の計画が始まったのです。試作機としては1984年にカード専用機の「DPT-A形」、カード・硬貨併用の「DPT-B形」が開発。 このときはまだインターネット接続は考慮されませんでしたが、ダイヤルリセットやナンバーディスプレイなどの新機軸が盛り込まれました。姿は同時期に開発されていたピンク電話675Pに近く、隅丸のボディと斜めに切り欠いたような操作盤が特徴的でした。DPT形は市場には出ませんでしたが、ディジタル公衆電話の礎となりました。
ディジタル公衆電話の開発が進む中で、市場の特に営業マンなどからは「客先のISDN回線をなるべく使いたくない」という意見があり、公衆電話から在庫管理などシステムを使えるように開発の路線が変更されていきます。INSネット64に接続可能な初めての公衆電話として登場したのがDMC-1PNでした。 当時はまだテレカ対応機の証である緑色で、横長の液晶ディスプレイがついており、フリーダイヤルやコレクトコールにも対応したまさに未来の公衆電話と言えましょう。ディジタル・アナログ両モジュラージャックやサブアドレス機能を備え、基本形としては申し分ない形となりました。現役の個体は確認されていませんが、今ではDPT形と共に門司電気通信レトロ館で保存機を見ることが出来ます。

翌年の1991年には普及型として開発したDMC-2、DMC-3、DMC-4が登場。ディジタル機の証であるグレー機体の祖となり、以後ディジタル機は「グレ電」と呼ばれ最後までファンに親しまれることとなります。新色となったのは、緑色では一般の公衆電話と見分けがつかつ、ISDNの認知に貢献しなかったことが要因となっています。
機体の大きさは既存の電話ボックスにも設置できるよう互換性を持たせたことによります。ディスプレイも大型化したことでガイダンスや残り通話可能時間の表示も可能。機能面ではDSUの内蔵が可能になったり、番号案内時の番号を保持してそのまま発信できるメモ機能など機能増強が図られています。 テレカユニットを2機装備することにより、2枚挿入を可能にした上故障対策の冗長化も実現しています。
-2はテレカ専用機、-3はテレカ・硬貨対応の委託機(商業・公共施設等)、-4はテレカ・硬貨ボックス搭載の胴長街頭機(電話ボックス等)としてラインナップされました。今はなきパレットタウンで見られたほか、川口ではDMC-2Cが、天王洲アイルではDMC-4が現役で稼働しています。
この頃NTTの社内では公衆電話事業が「公衆電話営業部」「地域公衆電話事業部」に独立しており、慢性的な赤字にある中でグレ電に期待を寄せるような展望が技術ジャーナルで語られていました。その中にはディスプレイを用いた映像配信なども思考していたと言いますが…ともかくこの時点でグレ電は8000台ほど配置していたといいます。                       
                      
1996年には、当時問題となっていた偽造テレホンカードに対抗すべく、検出機能を向上させたカードユニットが開発。これに合わせ、DMC-5、DMC-6、DMC-7の新型ディジタル公衆電話も登場しました。                       
特徴としては、更に大型化されたモニターとシンプルになったボタン配置、各機体共通の筐体を持つ点(胴長などの違いがない)が挙げられます。                       
また1997年には世界初のIrDA(赤外線)ポートを装備した機体も登場しました。IrDAポート搭載機はディジタル(ISDN)側の線に当たるため、代わりにディジタルのジャックはオミットされています。ピンクの帯が巻かれていることがほとんどで、赤目グレ電とも呼ばれます。(秋葉原LAOXでのフィールドテスト時はピンク帯なし)
-5はテレカ専用機、-6はテレカ・硬貨対応の委託機(商業・公共施設等)、-7はテレカ・硬貨対応の一般機(電話ボックス等)としてラインナップされていました。現時点で稼働する最も新しいグループのグレ電です。

NTTが威信をかけて開発した公衆電話として、1999年にはICテレホンカード対応の公衆電話が登場しました。その名もそのまま「ICテレホンカード公衆電話」、概ね4機種があります。ICテレホンカード専用機は卓上タイプのICT-1CO(と色違いのICT-1CB)とボックス壁掛けタイプのICT-2AO、硬貨対応機は委託向けのICT-3AOとボックス向けのICT-4AOMなどがありました。
さてこのICテレホンカードですが、前述の偽造テレホンカード対策として開発された、今ではSuicaなどでお馴染み非接触型のカードです。度数のラインナップも幅広い上、なんとICカードの利点を活かしダイヤルメモ機能が搭載されています!すごい!高額券は10件も記憶!?もはやポケットサイズの電話帳じゃないですか!!!
また2001年にスタートしたLモードというなんだかiモードみたいな名前の機能もありまして、こちらはなんとLモード専用コンテンツの範疇でインターネットが利用できてしまうとか…。加入すると発行されるLモードカードをかざせばすぐアクセス!なんと素晴らしい、まさに未来の公衆電話ってヤツですよ!
……とまぁ言ってみましたが、そんなスゴい公衆電話今見ませんよね。皆さんこの辺からちょっと先の時代なにか持ち歩いてませんでしたか?そう、携帯電話がちょうど台頭する時代です。みんなiモードで充分です。そしてICテレカ、他の公衆電話は対応してません。しかも有効期限もあります。なんてこったい。
そんなわけで2005年にはあっさり全廃となってしまいましたが、今でも武蔵野のNTT技術史料館で見ることが出来ます。時代を先取りしすぎた?公衆電話、会いに行ってあげてください。

入れ替わるようにディジタル公衆電話も後継機種が現れまして、DMC-8Aが2005年に登場しました。……ちょっとお待ち下さい、機体が緑色ですね…?
そうです。DMC-8Aは確かにISDN回線を備えながら、モジュラージャック他インターネット接続機能を持たない普通の公衆電話なのです。通話機能のみのディジタル公衆電話としては、DPT形が思い出されます。更に2018年にはアナログ公衆電話の最新型MC-D8が登場しており、DMC-8Aもアナログ化改造を施してグレ電の後を担っていくことになります。
ディジタル公衆電話とアナログ公衆電話の違いについては、交換機までの回線(加入者回線)自体は同じメタル線ですが、プッシュ回線かディジタル回線かという違いがあり、ディジタル回線では電気に0・1化したデータを乗せてやりとりします。そのため電話機側には、アナログ信号をデジタル信号の変換するDSUが必要です。簡単に言えば、同じメタル線に音を載せるかデータを載せるか、という違いになるわけです。 しかしこのたび公衆電話回線もメタル線はそのままに電話局から先がIP化され、INSネットのディジタル通信モードは2024年1月から段階的に終了することとなりました。段階的終了というのは、電話局での切り替えにあたって3地域に分けたことによるタイムラグです。 ISDN通話モードは公衆電話共々従来どおり、また2027年まではIP網を介した「切替後のINSネット上のデータ通信(保管策)」が提供されます。地デジ化の際にあったデジアナ変換のような移行猶予というわけです。グレ電においてもこの見做し通信モードに対応しているとされ、グレ電ある限りはもうしばらく快適なインターネットライフを楽しめるようです。


今から公衆電話でインターネットをする場合、ISDN回線を提供するISP(プロバイダ)はいずれも新規加入を終了してしまったので、ダイヤルアップ接続ができるISPに加入する方法があります。nifty辺りがまだやっています。 ダイヤルアップはアナログ回線になるので、モデムが別途必要です。程よく少し前のノートパソコンなどはモデムが内蔵されているケースもありますが、無ければ買いましょう。少し高いです。PDAの場合はCFカードタイプがあり、こちらは中古で探せば安く手に入るかもしれません。
料金はISPの使用料に加え、アクセスポイントへの通話料が公衆電話では発生するので気をつけましょう。

下記必要なものです。

1.ISP(プロバイダ)への加入
2.接続セットアップをしたPDA、ノートパソコンなどの端末
3.モデム
4.モジュラージャック
5.テレホンカード(もしくは10円・100円を必要なだけ)

接続のセットアップは、普段Wi-Fiや有線などでも使うネットワーク接続の設定ページからダイヤルアップを選び、プロバイダ加入の際に知らせられたIDとパスワード、アクセスポイントの電話番号を入力しましょう。
公衆電話ではデータ通信モードに入り、画面に従ってモジュラージャックやモデム、端末を繋げ、端末側から接続設定をするとダイヤルが行われ、インターネットに接続ができます。




Googleなどのポータルサイトですら重いので、アクセスしたいサイトがあればURLを直に打つのがおすすめです。通信・通話料に気をつけつつ、思う存分快適(?)なインターネットライフを送りましょう!  


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